昭和44年8月19日 朝の御理解
御理解第4節
此の方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられるようになった、此の方金光大神あって、神は世に出たのである、神からも氏子からも両方からの恩人は此の方金光大神である、金光大神の言うことに背かぬよう、よく守って信心せよ、まさかの折には天地金乃神というに及ばん、金光大神助けってくれといえば、おかげを授けてやる
隅々まで、御神徳が満ち溢れとる、という感じ、先生これはお世辞でもなんでもありません、というてから、あくる朝又、言われる、私がちょっと、お食事を上げる前、お茶を差し上げていましたから、私が出ましたら、もう目に涙を一杯溜めてそう言われるんです。
もうここのお広前の隅々に、神徳が溢れておる、ここの御信者さんがたの信心が、ね、できておられるという、そのことをです、今朝の朝の御祈念お態度の中から、拝まして頂いた、と。んー、ね、これは浜田先生に限らずですね、椛目の間は、軽く見ておった人達がですね、合楽に引き移らせて頂いたら、途端に合楽を認めたり、大事にしたり、または、大坪さんの話を、いっちょ聞いてみろうかと、あっちの先生の話を聞かせて頂こうかという姿勢になられた人達の姿にこれは、ちょいちょい触れます。
はあ、してみると、この形ということがいかに大事かということが分かります。
皆さんも、例えば昨日の朝の御理解に引き換えてですね、形のおかげを受けなければいけないことが分かります。
ね、昨日の朝のそれは、それは一つの過程ですから、ね、信心が段々でけていきよる過程ですからね、、そこを通り過ぎたら、ほんとに形の、いやー、立派なご普請がでけた、いつも立派な着物を普段着のようにして着てござる、というようにですね、金光様の御信心をいただいとんなさる、金の光というものをですね、いわゆる物の光というものを、表さなければいけないです。
いかに自分の心の中に燃えるような喜び、信心があってもです、それでは、いわば人がほんとに助かっていくためにはです、ね、あの、ね、自分だけはありがたかっても、人まで一緒にありがたくしていくそれに、ひとつ、限るわけです。ね。
まぁ、ついでながら申し上げますとね、その浜田先生が、ところに、もう、二十年近く前の話しなんです。ある、もう、わがうちからして、どうにも手も足も出らんという人が参拝をしてきて、いわゆる救いを求めて来た、ね、その人が、あの、まあ、記憶にも薄らぐころ、もう、二十年近くも経ってから、後に又やって見えられた。
お話しを聞くと、ある、何とかという宗教というでしょうかね、その仏様というか、いわゆる行者になられた。ね、もうどうにもできない、店はつぶれる、それこそ、こうして、両方の手をしなければならんくらいに、その、お手かけさんやら、足かけさんやら、沢山持っておったという人だと、けれどどうにもならなくなって、信心に打ち込みたいというので、見えられたその人が、二十年後に又、泉尾にやって来て、そういう一番初めに、その、まあ、浜田先生の話を聞き、または、そんときに親先生が、えー、あちらでは、もう先生にお会いするのでも、もう、お会いができないそうですね、それで五分なら五分会いましょう、十分なら十分会いましょう、というように、面接される前に、時間が切ってある。
そりゃそうでしょうね、あれだけ、沢山の人が、皆親先生、親先生というたらもう、たまったもんじゃない。
そいでそのときも、その人が、十分間会いましょうちゆうて、いわっしゃった。だからその十分間、まぁ、話させて、頂いておるうちに、思わず、三十分間、その親先生がお話なったそうです。
そして信心の尊さ、有り難さ、といったようなものを心から、分かって帰られたところに、それはまあ、二十年前の話しによりますとですね、あの話しは、こちらの親先生から、頂いて、その一番初めにいったところでです、何様かのお祭りがあとった。
自分の行った、おうちの、その坊さんかなんかに、まあ、傾倒してね、いわゆる帰依して、その修行を始めた。
非常にその、霊徳に優れたお坊んさんだったらしい、段々霊徳が優れてまいりましたらですね、金光四神という方がかかって見えられるようになった。
泉尾の教会に始めて、お会いされ、お参りさせて頂いてですね、そいで始めの間は金光四神という方がどういう方か分からなかったんです。ところがその金光教で二代を継がれた、生神様であるということが、わかった。
その方がですね、見えられてね、こういうことを言われた、そん時の言葉で「十何年後にですね、九州に、大変な偉い先生が出られる」金光教ん中で。
もういうならば、その、道の作り変えをされるほどしの先生が出られる、という話しを聞いておられたわけなんですよ。
そして、もうとにかく、自分の学院の友達が、ここの若先生ですから、まあ、いわば、ここのことは、ある意味でかるうみておられた、だからその自分が、その、迎えに来てくれとか、その、自動車をよこしてくれとか、まあ、そんなふうに簡単に思って、ここへ見えて、段々段々、その二十年前のことが思い出されてきたんですよね。こりゃ、九州で、そういう人が出るというのは、ここの先生じゃろう、ここの親先生じゃろうと、思うごとなったわけです、浜田先生が。
私はそれを聞きよってから、ちっとおかしくなってきたんですよね。
そんなことがあろうはずが無いもん、そりゃ確かにそうかもしれません、けども、それは例えば、合楽の親先生てんなんてんじゃなか、そら他に、そりゃでしょうけれども、浜田先生は、そういうふうに段々感じられるようになった。
一晩泊まって、あくる日までおる間にです、いわば段々、そのいうなら、態度から変わられてきた。
何回か、その翌日もお会いしましたけれど、お会いするたんびに、もう実に敬謙なんですね、しかも、その非常に感動、感激屋さんでしょうかね、もう、涙を流してから、そのお話しもせんでも、お会いしただけでですね、その感動される、してこーう、拝まれるんです。
だから、はー、二十年前に聞いておった、九州に二十年後に、こういう人が出るんだと、予言し、その予言者が予言しておったことが、まさしく、こりゃ合楽の親先生というふうにまあ、思い違いなさたんでしょう。こりゃ、この、先生のことを、うちに帰って、親先生に話さなければならん、ためには、どうでも一つ、こちらのテープ、前日のテープを一巻貸してくれ、というて、まあ、これを親先生に聞いてもらわんならん、というてその貸っておいでられた。
ね、それがです、やはり、この先生に言わせると、お広前の隅々にいたるまで、ご神徳が満ち溢れておるような、このお広前に接しられたから、そういうふうに、いわば見られたわけなんです。ね。
やはりおかげというものを見せないとです、ね、そのおかげ、おかげにもついてくる、ね、その先生のお話頂きよったら、今言うように、光という字を頂いて、金という字を頂いて、教と、いうなら金光教ということを、光ということを中心に頂いて、金、だから、はー、泉尾の盛んなご比例というのはです、ね、もちろん、今の教会が一年遅れてから、ここより一年遅れて、ご造営が、あそこは、でけた。
だから以前のお広前は、私は知っておるが、それこそ、お広前が三百畳から確かに記憶している、それ以上かもしれません。
ね、そういうような、とにかく広々とした屋敷に、そういう大変な、あー、教会が、そこに出けましたもんですから、その形にだけでも、皆がついてきたわけなんです。
ね、いわゆる金の光である。ね、形の光であり、おかげの光であり、けどもこれもなからなければ、いけない。
そして今私が申します、最後の教という字、おしえという字、ね、教えの光である。
ね、この教えを頂いて、心が助かってくる、救われたくる、ね、歓喜が溢れてくる。
ね、そいういことにならないと、いわゆる金光教ということになってこない。
金光教というのはね、おかげを頂いて、教えを頂いてそこから生まれてくる光なのだ。
そりゃ、なら椛目時代のことを思わしていただきましてもですね、今も、今から考えますと、ほんとにこれは形じゃないです。もう皆さんもご承知の通り、もう今頃夏というたら、もうお広前は、はいでもうぶんぶん、もうとにかく、はいが多いこと多いこと、ね、こうこうしてから、お話し頂かんならんくらい、はいが多かった。
こげんしてから、私がご理解説かして、頂いとると、先生、まあ、なん、初めてお参ってびっくりしとる。
私の後ろにはいが一杯、背中にとまっとるもんで、というほどしに、はいが多かった。
はん、もう、ご飯を頂くときには、もう、はいどんきたなか、ちゆうたら、ご飯に食べられんごたったけれどもです、ね、埃はするし、はいは多いし、ね、そういうなかにやはり、椛目、椛目というて尋ねて来たのはね、あれは形じゃなかった。
ね、信心であったかもしれません、ね、けれどもそれはただ、教えであった。
教えの光に皆が付いて来た。ね、合楽に参らせて頂いたら、その教えはもちろんですけども、いわばこのお広前、いわゆる、神様の御神徳が隅から隅まで満ち溢れて、おるほどしの、と思われるほどしの、お広前、この形に人がついてくるようになった。
ちよいと、合楽の金光様、たいした金光様じゃ、とにかく一辺、見てく、と言ったような、人達も、ずい分そのかわりある。
ね、椛目からこちらへ参りましてから、例えば大祭なら大祭の参拝がちょうど倍になっとるでしょうが、まだようやく、二年目ですよ。
これはね、教えについてきたんじゃない、やっぱり形に付いて来た、ね、だから皆さんがほんとに自分の心の上に、信心の教えというものを頂かれて、ね、有難いというものをです、ほんとに確かめてみて、この有り難さでよいのか、こういう信心でいいのか、ね、いわゆる教えの、光というものが、自分の心の中に、自分の周囲に、その教えを頂いておるものの光というものが、あるかどうか、ね、と同時にです、ね、そういう私は、教えの光に、おかげの光が伴わないはずがない、と思うた。
形の上のおかげはです、表していかなければいけん。ね、それが金光教だということ、そういうおかげの受けられるのが、金光教だということ。
浜田先生が又言われた、とにかく、私の四時の御祈念を、四時半ぐらいから頂かれたらしいです。
もう若先生の五時のご祈念の時には、お広前に、こうして一杯、もうご参拝があっておる。ね、いわば四時からちょうど五時半までご祈念がかる、それから、たっぷり三十分間ご理解を頂く、六時になる、それから、両方の、両袖に皆さんがたが来てお取次ぎを頂かれる。もう実に異様に見えたらしいですね。ね、それが。
最後に真ん中に座ってから、はー、して、真ん中に座っておられましてから、合掌しながら、その様子をまあ、見たり、拝んだりしておられました。
ね、そして一人一人お取次ぎを頂かれる、敬虔な態度を見てから、合楽のご信者さんがたは、信心がでけておられると、感じられた。
それは形を見られた。ね、内容が分かられるはずは無いでしょうが。
ところが、ここは椛目時代から、私もこげんせんならん、言わんならんていうたことなかばってん、もうほんとに生神金光様のお取次ぎを頂く、そういう姿勢とか態度というものが、合楽の信者さん方ん中にあるんですよ。
ある方がよその教会にお参りしてから、お取次ぎいただいたそうです。ね、ほていつまでたったちゃ、先生がどーん言いなさらんもんで、ちょっとこうやって、頭上げたところが、向こうどんむいとった。して御神米ちゃんと下っとった。
はー、合楽とは大分違う、けどそれが大体ほんなこつですもんね、よその教会はそうです。ここではちゃーんと、私がはい、かどうか言うまでは頭下げとるでしょう、そりけんいつまっでん、いつまっでん頭下げとる、よその教会では、先生の方を見よらな、頭下げとっちゃ間に合わん。いつ御神米下がるやら分からん。「はい」も「うん」も言わっしゃらんもんじゃけん。
そりけんちゅちから、御理解どんしてくださりゃ、はあ、もうお取次ぎして下さったばいなと思うてから、見るばってん、黙ーって、御理解もしなさらんし、はい、も、うん、も言いなさらんもんじゃけん、まだお取次ぎいただきよる、御祈念して頂よると思うもんじゃけん、一生懸命、こやって、御結界の前で頭下げて、そりけん、あっけにとられるというか、気が抜けるというか、それを合楽の人達は、それが本当だと思いこんどるですから、それを見られた浜田先生、はー合楽の信者は信心がでけとるとこう思われたんじゃないでしょうか。
態度が素晴らしい、ね、そしてまあ、私が、お参りさしていただいて、一番初めに直感した、合楽の信心は素晴らしい、これは、泉尾の教会よりも信心は上だと実感したことが、本当であったと、それに裏付けを、あくる日の御祈念で、して頂いたような思いがしたと言う訳なんです。
ね、大阪あたりは沢山の人が集まってくるけれども、ほんとに自分の言うことばっかり、おかげおかげ、もうとにかく、私それ、そのこと私も申しましたことでしたけども、とにかく大阪の信心を、感ずる、私は見て感じたことはです、ね、私が感じたことはです、ね、もし大阪の信心から、この、金という字を引いたら、いわゆるおかげを引いたら、おそらく金光教の信心はもう、信者はもう、ほとんどなくなってしまうだろうと、思うような感じなんです。
ね、これはあの、阿倍野の教会なんですけども、朝の御祈念が、千人からある、朝の御祈念、ね、それが、皆さんもご承知のように、大阪という所は、商都と言われるくらいに商いの町ですから、ね、沢山な番頭さんやら、女中さんやら、また、会社であれば社員の方達があるでしょう、そういう人手形なら手形にことを一生懸命願うわけです、ね、一週間後にどれだけの手形がありますから、お願いします、ですから、あんた一人じゃいかんと言われから、その女中さんにでも、社員にでも番頭さんにでも、・・?のさきでも、主人が頼みなさる、加勢してくれて、言われる。皆加勢してくれ、ね、ですから、一家中、たとえば、十人の番頭さんがおると、十人の番頭さんが、主人が、言うもんじゃけん、加勢せん訳にはいかんですたいね、信心の、お前も加勢をしてくれと言われますから、やっぱ皆付いて行く、ね、だから一人が参ると、十人付いて来る訳です、例えて言うと。
ね、だから、どうなりますかね、そういう信者が、十人おると百人ということになりましょう。
ね、だからそういう信者が百人おると、やっぱ、千人になるはずです、朝のご祈念が。けれどもそれがですね、ただ、来とるというだけ、ちょっと拝むというだけ、もうそれこそ、もうどんどん、そんかわり、お賽銭がずー、ジャラジャラジャラジャラ、いうぐらいにある。お賽銭箱が。
ね、ちょうど高良山か、水天宮さんに参るようなもんじゃないでしょうか。
ね、例えば二時間なら二時間、みっちりと、御祈念をして御理解を頂いて、心行くまでお取次ぎを頂かなければ、帰らんというのが、まあ、合楽の、信心の一つのタイプですよ。だからそういうものに触れられたものですから、合楽の信心はでけとる、とこう言われる、と思われたわけなんでしよう。
けども、これも私が言う、形の光なのであります。ね、皆さんの形の光なんです。
椛目時代から合楽に来て、ね、ほとんど倍の人がお参りがあるようになたということもです、やはり形の光なのであります。
ね、だからどうでも形というものが、やっぱり頂かなければ、形を、形もやっぱり頂かなければならないということが分かります。
ね、よりおかげを頂くためには、ね、泉尾の教会のお宮っていうのは、ちょうど、5階建てのデパートと同じ高さといいますから、たいしたことだと、ね、高さが、そういうお広前が、例えば教会がでけた、だから、やっぱり、もう、その、たいしたことじゃある、たいしたこちゃある、で、わんさとまぁ、押しかけるように参拝があるというのじゃないでしょうか。同時に、泉尾の先生の教え、教えの光、ね、そこが相まって、ああいう一代御比例を成しておる訳であります。
ね、私は今日は、この御理解四節はもう、この通りであるし、いろんな角度から、頂いておりますから、今日、この両方からの恩人ということ、ね、例えばお商売をさせて頂く、ね、仕入先のほうからも喜ばれる、もちろんお客さんからも喜ばれる、というような商売をさせて頂くなら、その人こそ両方からの恩人だと思うんです。
ね、そこんところを、私は今日は感じたんです、ね、だから、ここの御理解から、ちょっと、もとりますし、外れますけども、私どの自体がひとつ、商売をさせて頂くならです、ね、これは御商売に限らんのですけれども、何をさせて頂いても、両方からの恩人といわれるようにならないと金光教のいわゆる、金の光教と言う事にはならない。
おかげはどこまでも、天地金乃神様が、授けて下さるものであると、ね、両方からの恩人といわれるほどしのいわば、信心、商売をするなら、ね、問屋さんからもお客さんからも、あの店があるから、自分方がたつと、例えば卸し元の人が思われるくらいな、良い仕入れをさしてもらう、ね、どこで買うよりもあちらの店が一番が親切で、一番良い品物で、しかも値段まで安いといわるる様な、商売の仕方をすりゃ、お客さんからも喜ばれる、いかにもそれは儲かってはいないようではあるけれども、おかげは天地金乃神が授けるのである。
ね、そろばんじゃないということ、ためにまず、私共がですね、いろんな意味で、両方からの恩人は、ということをですね、いわゆる両方からの恩人にならして頂けれるおかげを頂かしてもらうところから、ね、教えの光がね、金の光が、そういうおかげを頂いて初めて、ひっくるめて、金光教の信心を頂いておるものの、姿ということになるのじゃないかと思うのですよね、どうぞ。 大坪かよこ